海と旋律

一作を出すごとに、嬉しいお言葉をいただきます。
その中でも今回の『ドミソラ』は特に、言葉が強いと言われます。

言葉についてなにかを言っていただく度に、思い出すことがあります。

もうかれこれ20年近く前のことです。
当時、私はミュージシャンとしてデビューする、一枚目のアルバムのレコーディング中でした。
同時に仕事のひとつで、毎週金曜日の深夜に生放送される、音楽ラジオ番組のアシスタントをしていました。

4時間くらいの番組で、私がひとりで受け持つコーナーが15分間ありました。
確か「星のあやとり」というコーナータイトルで、星のことを喋り、私の選んだ曲を一曲かける時間でした。

ある週に、マドレデウスというポルトガルのグループの、「海と旋律」をかけました。
女性ヴォーカルの歌声とメロディが繊細な、とても美しい曲です。
ホンダのCMにも使われていたので、耳にすれば、あ、あの曲だ、と思う方も多いと思います。

放送の翌日、私の所属していた事務所に、一本の電話がかかりました。
男性の、英語の言葉で。
日本の中学生くらいの、たどたどしい英語だったそうです。
電話を取ったスタッフがたまたま英語の堪能な人だったので、時間をかけてその人の話を聞くことができました。

彼曰く、自分は長野県に出稼ぎに来ているブラジル人だと。
工場で働き、工場の寮に住んでいる。
周りにも数人、ブラジルからの出稼ぎ人がいるが、自分は友人をつくるのが下手で、日本に来てから三か月間、喋る人はほとんどいない。
会話なんて、日本人の上司との、たまの事務的な短いやり取りのみだ。
毎日、寮の部屋に帰ると、日本語の勉強をするために、ラジオを聴いてばかりいる。

そんな中、突然、自分の母国語であるポルトガル語の歌が、ラジオから流れてきた。
驚いた。
ラジオをつかんで、必死に聴いた。
三か月ぶりに耳にした母国語だった。

この歌をかけたアヤさんという女性は、なぜこの曲をかけたのか。
彼女はどういう人なのか。
僕はこの人にお礼を言いたい。
この一曲を聴いたおかげで、僕はまだ頑張れる。アヤさんにありがとうと、心から伝えたい。

日本語もまだほとんど話すことのできないその人が、その思いのみで、ラジオの放送局であるJFNの電話番号を調べ、カタコトの英語でJFNに電話し、番組の担当者に私の事務所の番号を訊き、事務所に電話をかけてくれたのです。

「海と旋律」の日本語歌詞を冒頭部だけ記します。(対訳/国安真奈)

――独りとして戻らぬ過去に
捨ておいたもののところへは
一人として離れぬ
この巨大な輪からは
どこを巡り歩いてきたのか――


私はたまたまそのとき事務所にいたのですが、スタッフは私を電話に出すことはせず、切った後にその話を教えてくれました。
眼の奥が熱くなりました。
私こそ、その人にお礼を言いたかった。
「海と旋律」は、印象的な曲だなと思って今週の一曲に選んだだけでしたが、その行為が、こんなにひとりの人の心を熱く揺さぶることもあるのだと。
揺さぶったのはマドレデウスの曲ですが、発信する側のはしくれとして、言葉を誰かに送ることの凄さと責任を強く知らされました。

その人は日本で技術やお金を得て、きっといまは母国ブラジル、あるいはご自分の選んだ場所で、いろいろあっても幸せに暮らしていると信じています。
私のほうもそれなりにいろいろありつつ、でもしんどいなと思うときでも、思い出すたびに拳を握る記憶を、こうしてたくさんいただいています。
言葉の尊さと、それを誰かに伝えることの怖さ、そしてなにを発しようとも、最後は愛に辿り着きたいとの思いを、実感として与えられた出来事でした。
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