セックスレスは問題なのか

「セックスレス」という言葉が出て以来、
たまに取材等で「レスの人たちにひと言」と
求められるときがあります。
毎回、「レスかどうかより、その理由を大切に」と答えています。

まず大前提として、セックス行為が嫌いとか面倒な人って、
大昔からけっこういたに違いないんですよ。
先天的なもの、後天的なもの、所以は様々。

でも近年まで、女性には性欲も、
拒絶する権利も認められていなかったし、
男性のほうにもおそらく、
「嫌い」とは言いにくい風潮があったようにお察しします。

いまは、少しでも堂々と「嫌い」「面倒」と言いやすい時代になって、
とても健全で良いと思います。


ただ、やはり現在でも、この「問題」が語られるときは、
「したい人」「しなきゃと思う人」の意見が主流。
「私はしたいのに、夫から拒まれて苦しい」
「妻にだけ性欲が湧かなくて、他では勃って罪悪感がある」
「しなきゃとは思うんだけど、なんとなく億劫で」・・・等々。

相談された「専門家」は、「セックスの良さ」を語り、
「ふたりで良きセックスができる方向へ」アドバイスします。


ーーそれで幸せになれる人たちはいいけれど、
「したくない人」の意思は尊重されないのでしょうか。

これはセックスレスというより
コミュニケーションの問題だと思うのですが、
離婚裁判の判例でも、
「自分はしたいのに相手が拒絶して辛い」場合は、
「相手」が有責となりますが、
「自分はしたくないのに相手が不満を表すので辛い」側の主張が
聞き入れられた例は、聞いたことがありません。
「したくないこと」のみが、一方的に「問題」視されている。


どうしても、世の中的にギラギラした人を増やしたいのなら、
動物って、安易に手に入るものに対しては、
ドーパミンが分泌されないようにできているそうなので、
セックス関連の情報を、メディアから減らせばいいんです。
そうしたら飢えを覚える人も出て、
官能小説もいまより読んでもらえるかもしれないなぁ。


ちなみに、男性対象の統計によると、
収入の多い人ほどセックスレスになりがちで、
生涯に経験した女性の数も少ないそうです。
快楽ホルモンが仕事に向かっているのでしょうね。

私は真逆のタイプも好きになりがちですけど、
仕事ができなくてセックスも面倒な人間って、
なんか救いようのない感じではありますね。


思うのは、大多数の欲望を価値観にして、
弱者、あるいは弱者の味方になったつもりで、
強者になっている場合も多いんじゃないかな、ということです。
なにかを求めるのも拒絶するのも、
相応の代償を自分が支払うのはもちろん、
相手にも支払わせている自覚は、お互いに必要なはずですね。
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